結婚式と家族写真の出張撮影 HIROMI PHOTO

陸前高田からのメッセージ

投稿日:2012年9月28日


写真は平成9年の台風で、旧湯河原高校(現在は湯河原中学校として借用中)付近が高潮を被った時のもの。

「湯河原の子どもの未来の会」に寄せられた陸前高田の方からのメッセージです。
多くの方に読んでいただきたいと思い、許可を得てシェアさせていただきます。
長文ですが、ぜひお読み下さい。

以下、陸前高田在住の方からいただいたメッセージ

先日、ヤフーニュースを見てこの問題を知りました。私は岩手県陸前高田市在住の者です。
東日本大震災の大津波により大変な経験をしているので、この湯河原中学校の問題について黙っていられなくてメッセージとして送ることにしました。

先ずは、東日本大震災に際しまして、被災地に救援物資、支援物資や義援金をお送りいただいた方、ボランティア活動など支援活動により直接被災地を訪問支援していただいた方、何かしら被災地に関わりを持ち行動していただいた方すべてのみなさんに、心より感謝と御礼を申し上げます。皆さんの『かゆい所に手が届く以上の隅々まで行き届いた支援』に感激するとともに沢山の支援により、勇気と元気をいただき前を向くことが出来ております。誠にありがとうございました。

私たちは、子供たちを学校に通わせる際、授業やカリキュラム、体験学習など様々な授業を受けることにより、将来社会に貢献出来る大人になるための教育を受けさせる場として学校へ通わせていると思います。
学校は、教育を受ける以前に子供たちの命を守り、安心して教育が受けられる安全な場所でなければならないはずです。

湯河原中学校は海の直ぐ側にありますね。これは、高台に学校を移すべきです。
私達の学校のことを例に挙げて述べさせていただきます。
私達の地域の中学校は、海抜0メートルの川の河口にあり、海の目の前に建っていました。
築30年の3階建ての校舎で、全校生徒90人位の学校です。
私たちの地域の中学校は、大津波により屋上まで津波が襲い水没しました。校舎は残っていますが、教室は所々打ち抜かれています。学校内にあったものは殆んど流されてしまいました。
体育館は、津波により跡形も無く破壊されました。校庭は、一番海側にあるテニスコート3面は、堤防が決壊したため土をえぐりとられ、海の波打ち際となりました。

生徒は、地震発生時、体育館で卒業式の練習中で、体育館サイドのギャラリーが崩落したので、本来は津波注意報や警報が発令になった場合に避難行動を取ることになっていましたが、先生の指示に従い、直ぐに避難場所まで走って逃げました。引き潮が凄かったので、更に高台へ避難して全員無事でした。子供達はその場で津波襲来の様子を見ていましたが、津波がものすごい勢いで町を襲いかかる様子を見ているうちに、恐怖と家族を心配して女子生徒が泣き始めた為、先生方が生徒全員を杉林の中に移動させて、津波を見せないようにして薄暗くなるまでその場で避難しました。その後、地域の人たちの誘導により、山道を歩いて学校から1キロ離れた所にある公民館に移動して、二晩過ごすことになりました。電気は停電しており、また、雪が舞っている状態でストーブや毛布は付近の家からかき集め、毛布や布団は2~3人で一枚使う状態でした。先生方も地域の人たちと協力して炊き出しなどを行いました。中学校の北700~800メートル離れた場所にある小学校も3階まで津波が押し寄せ、小学生と小学校に隣接する保育所の子供達も山道を移動して同じ公民館に避難してきました。(小学生、保育所の子供達は全員無事です)被災住民も含めると1300人の人たちが公民館に避難してきました。小さな公民館のため、近くのお寺と神社に分かれて避難生活が始まりました。
親の多くは、子供の無事を確認するにも、公民館に通じる道路が津波により寸断して行くことが出来ずにおりましたが、翌日、翌々日に公民館に迎えに行くことが出来て、自分の子供を見つけると抱きあう光景がそこにはありました。

小中学生は、二晩公民館等に避難して、公民館から1キロ南にある、高台にあり難を逃れた小学校に移動しました。家を流され、避難先がない小中学生は、その小学校に家族とともに避難することになりました。
先生方も家に帰らず、子供の様子を見ながら一緒に避難生活をしていただきました。校長先生が長く、2週間子供達に寄り添って頂きました。先生方の中にも家族を亡くしたり、家を流されるなど大変な思いをしている状況の中、子供達に寄り添ってくれました。感謝の念で一杯です。

私達地域の北側にある小学校の津波襲来時の様子を述べますと、海から700~800メートル離れており、古い町並みが残る中心地に学校があり、過去の大津波に遭遇しなかったこともあり、校庭に避難しておりました。地域住民も多数避難しておりました。防災無線で、津波が堤防を越えました。更には、近くの川の堤防を越えましたとの放送を聞き、様子を見ていた先生が機転を利かせて、学校脇の急な山を、初めに5・6年生に草を踏ませながら登らせ道を作り、そのあとを1年生から順に山を登らせました。
低学年は、恐怖のあまり泣き出す子もおり、励ましながら急ぎ登らせたそうです。全員登りきった所へ津波が校庭に勢いよく流れてきて、間に合わなかった地域の人たちが津波に呑まれ流されて行ったそうです。
その様子を子供達が見ていたそうです。見た子供の中には、ショックのあまり一週間も口を開かなかった子もいたと言う事でした。
小学校に通う子供達は、現在でも自宅から通う子供は1人も居ません。小学校学区内の家屋は、97%津波により流されました。現在は、同じ中学校区内の南側の小学校に間借りする形となり、スクールバスで通い、
一緒に勉強しています。教室にはそれぞれの学校の先生二人で授業をしています。
来年度、統合することになっています。

南側の小学校でも半分の子供達が家を流され、仮設住宅、借家で生活しております。
私の家は幸いにも高台にあり難を逃れることが出来ました。しかし、親類に多くの犠牲を出しました。
職場も被災しました。

私達の中学校は、8割の生徒が家を流されています。

中学校では、校内に有った書類、パソコンなど全てが流失しており、卒業間じかの3年生は内申書など、小学校からの様々な記録簿が全くなくなった状態です。娘は2年生までのものがありません。

学校は被災して使える状態にはなく、市内の山間にある22年度で廃校となった中学校を間借りして授業を受けています。生徒はほぼ全員スクールバスで30分かけて通学している状態です。
避難する時はジャージ着用していたため、制服もないため、県内、県外の2校からその年の卒業生から支援していただきました。ほか色々な物を救援物資としていただき、しのいだ状況でした。
部活は、近隣市町に移動して練習しました。

遡る事、私が中学3年の時に建設された校舎です。当時、校舎を新築するに当って、隣接する山を削って海抜20メートル以上の場所に建設する話がありました。津波を想定してのことでした。
しかし、旧校舎を解体して、その場所に建設されました。中学生でありましたが、移転候補地の用地買収交渉がうまく行かなかったために現在の場所に建設することになったと、大人たちから聞かされました。このように学校が被災して、当時、なぜ用地買収交渉が不調に終わったか、
事情をしっている人たちは悔しい思いで話をしています。
この地域は、昔から津波を何度も経験しているのに、残念な結果であります。

海抜7メートルに立地している学校だから、想定浸水高6.8メートルの津波の影響は受けないと言っているようですが、今回の東日本大震災の大津波が人間のキャパシティを超越した大津波となり、甚大な被害を受けています。陸前高田市のハザードマップでは、市中心部では、50センチメートルの浸水想定でした。実際は、4階建て市役所の4階まで津波が襲い、屋上に避難した人が辛うじて助かっています。
市役所と隣接する市民会館は避難場所に指定されていましたが水没。また、約200メートル離れている市民体育館も避難所に指定されていましたが、この3施設に避難した人たち、300人弱の方々が津波により
犠牲になっています。陸前高田市は、死者、行方不明者約1800人になります。

今まで、津波避難訓練をしたことが無い地域まで津波が襲っており、多くの犠牲者を出しています。

こちら三陸では、明治29年、昭和8年の大津波を経験して海抜20メートル以上の場所に町ごと高台移転したところがありますが、今回そのある町にも津波が襲い被害を受けています。

現実に、想定以上の津波が来て、湯河原中学校と同じ状況に有った私達の地域の中学校が申し述べましたとおりの状態となりました。

絶対はありません。

釜石の小中学校では、群馬大学の教授を招いて防災教育が行われており、子供達に想定に捉われないで避難行動を取りなさいと指導していたそうです。釜石市の中心部にある釜石小学校の半分くらいの子供達が、
地震発生当時下校しておりましたが、この教育を実践することにより、家族を救うことにもなり、全員無事でした。
釜石の奇跡として全国に知られています。

現在の湯河原中学校において、津波警報、注意報が発令された場合に、屋上に避難するマニュアルになっているようですが、東日本大震災に照らし合わせた場合に、屋上に避難して助かった学校もあります。
しかしながら、一晩屋上で過ごして、翌日明るくなってから避難所等安全な場所に移動しています。夜は雪が舞い、急ぎ避難したために上着を着ないで暖を取るすべも無く寒い思いをして避難しています。津波が町や周囲を凄い勢いで襲っている所を子供達は見ています。自分の生死とともに恐怖心に襲われているのです。
実際、こちらの中学生が高台に避難して津波襲来を見た子供達の中にはPTSDになった子供も居ます。
先生方もです。他の学校でも同様のようです。現在、各学校には常勤と巡回の心理カウンセラーが2人配置されて対応しています。ある小学校では、一度屋上に避難したあと、高台避難に切り替えて全員助かりました。その小学校は3階建ての校舎でしたが、結果的に屋上まで津波が襲い水没状態となったそうです。
人間の想定をあざ笑うかのように津波は襲ってきました。このように海のそばにある学校がいかに危険かお分かりいただけたでしょうか。第2、第3・・・・第6、第7・・・の大川小学校になる可能性のあった学校は被災地には少なくなかったのです。先生方の避難マニュアルに無かった機転の利いた行動により、多くの子供達の命が救われたんです。将来を見据えて、安全な場所に学校を移転して、防災機能を
持った地域の避難場所にしたほうが多くの人命を救う事になると思います。どのようにお考えになりますか。

国道を横断する時に逃げようと必死になっている車が止まってくれますか。

こちら被災地では、避難する車で渋滞が発生した時、交差点で右折しようにも出来なかったそうです。
車で避難する際、事件、事故扱いになりませんでしたが、醜い話もあります。

もし、先見の明が有って学校が高台に移転していたならば、子供たちが命の危険を感じる事無く、また、避難場所となっていたであろう中学校に避難した地域住民をどのくらい救えたであろうと思うと悔しくも感じております。

子供たちの命を第一に考えて、行動してもらいたいものです。

教育委員会や議員の皆さんには、是非、被災地を訪問していただき、実情を見て学んで頂きたいと思います。

皆様の活動が、将来を担う湯河原の子供達の安全を取り戻せるように心よりお祈りしております。

〜メッセージはここまでです〜

旧湯河原高校跡地の購入協議を中止し、湯河原中学校を安全な場所へ移転を求める署名運動は、明後日30日が締め切りとなります。そして、10/2の本会議で最終的な判断がなされます。

陸前高田から届いたメッセージを読んで、私は涙が止まりませんでした。湯河原の議員さんはもちろん、教育委員会や、町、県、国の、行政に携わる方にはぜひ読んで頂きたいと思いますし、海沿いの市町村に住む全ての人達にも知ってほしいと思い、シェアさせていただきました。

移転を求める署名は、湯河原町民以外の方でも可能です。
湯河原のこどもの未来を考える会のページ下からネット上で署名が出来ますので、ご協力をお願い致します。これまでの詳しい経緯なども、会のホームページでご覧になれます。

*「湯河原中学校を安全な場所へ」署名と拡散のお願い*

投稿日:2012年8月30日

今日は写真の話題ではなく、湯河原町のこども達の将来のために、皆様のお力をお借りしたくて記事にしています。

写真は、現在県から借りて利用している、湯河原中学校の校舎と、その周辺の様子です。海際の埋め立て地に建つ、築30年以上の旧湯河原高校を、湯河原中学校として借用しています。(平成21年〜現在)

昨年の震災以来、あの場所で本当に大丈夫なのだろうか?と、ずっと気にかけ、友人と共に、できるだけ教育委員会や町議会、議会報告会などにも足を運び、お話を聞いてきました。
また、県知事にも生徒の安全を第一に考えた対応をして下さるようお願いのメールを送っておりましたが、……。

現時点では700名近くが安全に避難する方法は、3階に上がる以外にないと考えられていて、その方法で本当に生徒の命が守られるのか、保護者の間からも不安の声が多く上がっています。

教育委員会、教育長、町長、議会の議員さん達が、保護者の声に耳を傾けてくだされば良いのですが、一部の議員さんを除いては、残念ながら期待ができないと感じました。

もはや町外の皆様や、専門家の先生のお知恵とお力もお借りしないと、生徒達を守れないのかもしれません。

今年の7/9の保護者説明会の席でも、以下のような意見が保護者から出たにもかかわらず、その後の説明や報告もないまま、町はこの9月に県から海際の土地の買い取りを行おうとしているのだそうです。

—–以下抜粋です。—–

Q25「3/11の震災以来、海岸沿いに学校を建設するような自治体は全国的に見ても無いと思います。文科省の提言でも、海岸沿いには建てないようにとされている事ですし、危険な状況にある学校は速やかに移転する事が好ましいとされているのに、町の教育委員会が何で逆方向にベクトルが向かないのか、不思議でしょうがない。どうしてこども達の命を守るために、まず教育委員会が行動をしないのか納得ができません。」

Q26「3/11の震災を経験して、日本全国民の価値観が変わった中、未曾有の津波や震災が起きた後に、海岸線に今から学校を建てますか?絶対に建てないですよね。それと同じ事を、買い取りという方法でしようとしているのではないのですか?」

A「先ほど、地域政策課が説明しましたように、中学校の建物が7メートルにあります。津波高が6、8メートルですので、絶対的に危険と指定されたものではないと認識しています。」

Q29「大規模改修工事(屋上にフェンスを設置する事等)も、こども達の安全を考えている事は理解できますが、それ以前に、もっといろんな方法があるように感じます。例えば少子化傾向の中で、10億、20億という多額の予算で校舎を買い取り改修するのであれば、新校舎を建てるか、湯小、吉小を一体化してどちらかを中学校にするとか、いろいろな方法があるんだと思います。そういうふうに何件か本当に考えて検討したのかお聞きしたい。別に教育委員会を責めているんじゃなくて、思いをすくい取ってもらいたいんです。」

A 「その件につきましては、議会の中に教育施設のあり方等調査特別委員会が設置されましたので、そこで、さまざまな角度から意見交換をしていくことになっています。」

Q37「今すぐに屋上のフェンスがほしいことはみんな理解しています。それにしても、あの土地に何十億もかけてしまったら、あそこに通う生徒の命も預けるというのは、ちょっと理解し難い部分があります。それが自腹だとして、そのフェンスがほしいがために何十億もの借金をするのが疑問で、みなさんそう思っているはずです。町として一番いい方向に話を進めていくことが大事だと感じています。アンケートでの自分達の気持ちをくみとってもらいたいことと、町にとっても、親にとっても、住んでいる人にとっても、将来その負債を抱えていくことになるんですから、それだけの価値があるのかどうか、もう一度白紙にした状態で考える事はできないでしょうか?」

A 「先ほどから申し上げていますように、教育委員会ではその権限は持っていません。」
———-

等のやりとりがあり、会場からは時折大きな拍手が沸き起こりました。その他の質疑については、湯河原の子どもの未来を考える会/7月9日保護者説明会をぜひご覧下さい。

この日の参加者は、わずか70名程です。町民のほとんどの方が、この実情を知らないまま、旧湯河原高校取得契約が進められようとしていることに、本当にびっくりしました。

ちなみに、平成9年には、台風による高潮で、こんなに波をかぶっていたのだそうです。

私も、この事実を何とかして多くの町民の方々にお知らせしなければと思い、旧湯河原高校買い取りを差し止め、湯河原中学校を安全な場所に移転する署名運動のお手伝いをしています。

署名はネットからもできます。町外の方、県外の方、お子様でも可能です。
よろしければ、こちらのページ下からご協力をお願い致します。期限は8/31までとしておりましたが、議会への追加提出が可能なことがわかり、9月末まで延長する事にしたそうです。

そして、既に署名にご協力をしてくださった皆様、本当にありがとうございます♪厚かましいお願いですが、どうかご友人や知人、職場の皆様にもこのことを伝えて、湯河原の子ども達が安心して学べるよう、さらにお力を貸していただけないでしょうか?ひとりでお願いに回るには限りがありますが、賛同して下さった方々が更に伝えていただけたら、きっと大きな力になると信じています。
チラシや署名用紙も、代表から少し預かっておりますので、ご協力いただける方はお声かけいただけると嬉しいです。

私達も街頭に立ち、署名活動ができないかどうか、あちこちに許可を求めているところですが、先日はOKだった小学校前での署名運動も、公道ということで、明日予定していた分は実施ができなくなりました。
町内の小、中学校や保育園、幼稚園で、チラシを配ったり、署名運動ができれば手っ取り早いのですが、それもNGなのだそうです。地域毎に回覧板で隈無く知ってほしいとも思いましたが、それも許可が必要なのだとか…

メディアに取り上げてもらえたら話が早い、と考えたのは私だけではなくて、すでに仲間のKさんやTさんが「噂の東京マガジン」や、東京新聞などに、チラシや取材の依頼を郵送済みだそうです。
私も先日メールでお願いをしました。

また、シェアしていただくことによって、防災の専門家の方々の目に止まり、この買い取りが白紙に戻される事を心から願っています。

今日は16時から17時半まで、国道135号線沿いのエスポットさん入り口で署名活動を行います。そして、明日も同じ時間帯に、小田原百貨店湯河原店さんの入り口付近で署名活動を行います。署名の許可を出して下さった両店と、既にご協力をいただいたヤオハンさんや、その他のお店や事業所の皆様にも心からお礼を申し上げます。

毎日ドロドロです♪

投稿日:2012年8月29日

我が家の次男、本当にこどもらしい夏休みを過ごしておりまして…

毎日砂と汗にまみれて、ドロドロになって帰ってきます。

真っ暗になる前に帰って来てね♪と毎回念を押して送り出すのですが…

楽しくて止められないみたいです♪

そして、この時も既に18時半を回っていて、一向に帰る気配がないので、私は先に帰ってきちゃいました。
楽しい楽しい夏休みも残すは明日のみ。

宿題終わるのかしら〜♪

「好きなことをやりなさい」

投稿日:2012年8月22日

今日は打ち合わせの後、東京都写真美術館に寄ってきました♪
ゼラチンシルバープリントの美しさや、鋤田正義さんの、ミュージシャンや俳優さん達のポートレート作品に魅せられて、気づけば閉館時間になっていました。

後から知ったのですが、木曜と金曜だけは午後8時まで開館しているのだそうです。

今日はたまたまTV局の取材も入っていて、鋤田先生の撮影時の思いなども聴く事ができて、とてもラッキーでした♪鋤田正義展「サウンド&ヴィジョン」は9/30までやっているので、ご興味のある方はぜひお出掛け下さい♪

取材で最後のインタビューの際に、
「好きなことを見つけて、それをやりなさい。好きなことならば、続けられるから。そしてなんとかなるから。」
言い方は少し違ったかもしれませんが、内容的には上記のようなことをおっしゃっていたのが印象的でした。

わたしの生き方も、きっと間違ってはいない。そう確信しましたw

写真は美術館を出てすぐに見えた空です♪

地元の小さなお祭りにて

投稿日:2012年7月21日

こんばんは、ひろみです。
今日は地元の区民の集いという、ちっちゃな縁日のようなイベントに行ってきました。

これはビンゴゲームで次男がゲットしたスイカ。

学校の授業でも、こんなに真剣には聞かないのではないかと思うほど、ものすごく集中してました。笑

ビンゴが終わると、かわゆいフラガール達が踊りを披露してくれました♪

この日の為にエステに行って、お肌もすべすべにしてきたという美女の皆様達♪
手や体の動きがしなやかで素敵でした。

2歳や3歳の、フラを始めたばかりのお子さんも、大勢の人の前で一生懸命踊っている姿がかわいらしかったです。

ステージの最後は、学園の先生方のバンド演奏で盛り上がりました。ブルーハーツやコブクロの曲などを披露してくれましたよ。こども達もノリの良い曲に合わせて、リズムをとったり、ギターを弾く真似をしたりして、どんどん前に出てゆき、しまいにはステージに座ってしまったのですが、誰ひとりとして怒ったりせず、そんなところも田舎の小さなお祭りらしくていいなぁ〜と感じました。

もうずっと昔から、このイベントは続いているのかと思いきや、今年でまだ5年目なのだそうです。実行委員長さんが、「来年はあるかどうかわかりませんが」なんておっしゃっていましたが、こども達もとても楽しみにしているので、ぜひ来年以降も続けて欲しいな〜と思っています。
関係者の皆様お疲れさまでした&ありがとうございました♪

今日の収穫♪

投稿日:2012年7月11日

こんばんは、ひろみです。
今日は夏本番のような暑さでしたね〜。お疲れさまでした♪

写真は、我が家の本日の収穫物です!ゴーヤの緑のカーテンとともに、野菜も少しずつ主人が植えてくれて、その成長を楽しみにしています。近所のご夫人達も、「上手に育ててるね〜」と、その様子が毎日気になるようで、立ち話にも花が咲きます。植物の成長が、ご近所さんとのお話のきっかけになるなんて、思いもしませんでした。

次男もキュウリが大好きなので、大喜びです♪

太鼓練習一週間後

投稿日:2012年7月10日

こんばんは、ひろみです。
今年もやっさ祭りに向けての太鼓練習が始まり、早くも一週間が経過しました。先週はなかなか見に行けなかったのですが、今日はお当番ということもあり、じっくり観察してきました♪

上の写真は、今日新しく購入したばかりの、24ミリ単焦点レンズを試してみたくて、早速全体を撮影してみました♪

今日からは、4年生以上と1、2年生がペアになって、わからないところを教えてあげるようにと指示が出まして、さっそくお隣の子の手をとり教える姿を見て、次男も成長したものだなぁ〜と感じました。笑

今年は今まで教えて下さっていた太鼓の先生が、多忙との事でお願いできなかったそうで、どうなってしまうのだろうかと少しの不安もありましたが、保存会の方々のご協力を得て、みんな一生懸命やっておりました。
地域の方々のボランティアのおかげで、こども達や、伝統文化が守られてゆくのだなぁ〜と本当にありがたく思います。

門川地区の前夜祭は7/31、村巡りは8/1、町全体のやっさ祭りパレードは8/2と8/3、花火大会は8/3です。
湯河原温泉やっさ祭り